戦績:ホンダ

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基本情報

名前 英語表記 国籍 公式URL
ホンダ HONDA 日本 http://www.hondaracingf1.com/

成績

出走 通過 不通過 未出走等 失格等
予備予選 0台[---] 0台[---] 0台[---] 0台[---] 0台[---]
予選 152台[ 36位] 152台[ 36位] 0台[---] 0台[---] 0台[---]
決勝 151台[ 36位]

0台[---] 1台[ 24位]

チャンピオン・最高順位
チャンピオン 回数 0回[---]
獲得率 0.0%[---]
最高順位 予選 1位
決勝 1位

トップ記録
優勝 台数 3台[ 21位]
勝率 3.4%[ 24位]
ポール
ポジション
台数 2台[ 23位]
獲得率 2.3%[ 29位]
ファステスト
ラップ
台数 2台[ 26位]
獲得率 1.3%[ 34位]
ポールトゥ
ウィン
台数 0台[---]
獲得率 0.0%[---]
グランドスラム 台数 0台[---]
獲得率 0.0%[---]

表彰台・入賞
表彰台 台数 9台[ 28位]
獲得率 6.0%[ 35位]
優勝を除く
表彰台
台数 6台[ 29位]
獲得率 4.0%[ 39位]
入賞 台数 42台[ 31位]
獲得率 27.8%[ 26位]
表彰台を除く
入賞
台数 33台[ 31位]
獲得率 21.9%[ 25位]

生涯記録
決勝完走率 67.5%[ 41位]
総ポイント 154p[ 31位]
走行ラップ 7,671周[ 34位]
リーダーラップ 111周[ 24位]

レース数 レース
初エントリー
1964年第6戦ドイツGP
初決勝 1戦目[ 1位] 1964年第6戦ドイツGP
初完走 1戦目[ 1位] 1964年第6戦ドイツGP
初入賞 5戦目[ 54位] 1965年第3戦ベルギーGP
初表彰台 11戦目[ 37位] 1965年第10戦メキシコGP
初優勝 11戦目[ 14位] 1965年第10戦メキシコGP
初PP 32戦目[ 28位] 1968年第9戦イタリアGP
初FL 14戦目[ 21位] 1966年第9戦メキシコGP
最終エントリー
2008年第18戦ブラジルGP
最終決勝
2008年第18戦ブラジルGP
最終完走
2008年第18戦ブラジルGP
最終入賞
2008年第9戦イギリスGP
最終表彰台
2008年第9戦イギリスGP
最終優勝
2006年第13戦ハンガリーGP
最終PP
2006年第3戦オーストラリアGP
最終FL
1968年第4戦ベルギーGP

戦績

1950
1960 1964 1965 1966 1967 1968
1970
1980
1990
2000 2006 2007 2008
2010
2020


1964年

シャシー
RA271
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
0p
決勝完走率
33.3%
予選最高順位
10位
決勝最高順位
13位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
R.バックナム R.バックナム
1 1964-05-10 モナコ モンテカルロ
2 1964-05-24 オランダ ザンドフォールト
3 1964-06-14 ベルギー スパ・フランコルシャン
4 1964-06-28 フランス ルーアン
5 1964-07-11 イギリス ブランズ・ハッチ
6 1964-08-02 ドイツ ニュルブルクリンク 22位 22位 13位
7 1964-08-23 オーストリア ツェルトヴェク
8 1964-09-06 イタリア モンツァ 10位 10位 リタイア
9 1964-10-04 アメリカ ワトキンズ・グレン 14位 14位 リタイア
10 1964-10-25 メキシコ メキシコ・シティ

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1965年

シャシー
RA272
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
11p
決勝完走率
50.0%
予選最高順位
3位
決勝最高順位
1位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
R.ギンサー R.バックナム R.ギンサー R.バックナム
1 1965-01-01 南アフリカ イースト・ロンドン
2 1965-05-30 モナコ モンテカルロ 16位 16位 15位 15位 リタイア リタイア
3 1965-06-13 ベルギー スパ・フランコルシャン 4位 4位 11位 11位 6位 リタイア
4 1965-06-27 フランス クレルモン・フェラン 7位 7位 16位 16位 リタイア リタイア
5 1965-07-10 イギリス シルバーストン 3位 3位 リタイア
6 1965-07-18 オランダ ザンドフォールト 3位 3位 6位
7 1965-08-01 ドイツ ニュルブルクリンク
8 1965-09-12 イタリア モンツァ 17位 17位 6位 6位 14位 リタイア
9 1965-10-03 アメリカ ワトキンズ・グレン 3位 3位 12位 12位 7位 13位
10 1965-10-24 メキシコ メキシコ・シティ 3位 3位 10位 10位 1位 5位

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1966年

シャシー
RA273
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
3p
決勝完走率
40.0%
予選最高順位
3位
決勝最高順位
4位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
R.ギンサー R.バックナム R.ギンサー R.バックナム
1 1966-05-22 モナコ モンテカルロ
2 1966-06-12 ベルギー スパ・フランコルシャン
3 1966-07-03 フランス ランス
4 1966-07-16 イギリス ブランズ・ハッチ
5 1966-07-24 オランダ ザンドフォールト
6 1966-08-07 ドイツ ニュルブルクリンク
7 1966-09-04 イタリア モンツァ 7位 7位 リタイア
8 1966-10-02 アメリカ ワトキンズ・グレン 8位 8位 18位 18位 周回不足 リタイア
9 1966-10-23 メキシコ メキシコ・シティ 3位 3位 14位 13位 4位 8位

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1967年

シャシー
RA273, RA300
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
20p
決勝完走率
55.6%
予選最高順位
3位
決勝最高順位
1位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
J.サーティース J.サーティース
1 1967-01-02 南アフリカ キャラミ 6位 6位 3位
2 1967-05-07 モナコ モンテカルロ 3位 3位 リタイア
3 1967-06-04 オランダ ザンドフォールト 6位 6位 リタイア
4 1967-06-18 ベルギー スパ・フランコルシャン 10位 10位 リタイア
5 1967-07-02 フランス ル・マン
6 1967-07-15 イギリス シルバーストン 7位 7位 6位
7 1967-08-06 ドイツ ニュルブルクリンク 6位 6位 4位
8 1967-08-27 カナダ モスポート・パーク
9 1967-09-10 イタリア モンツァ 9位 9位 1位
10 1967-10-01 アメリカ ワトキンズ・グレン 11位 11位 リタイア
11 1967-10-22 メキシコ メキシコ・シティ 7位 7位 4位

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1968年

シャシー
RA300, RA301, RA302
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
14p
決勝完走率
33.3%
予選最高順位
1位
決勝最高順位
2位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
J.サーティース J.シュレッサー D.ホブス J.ボニエ J.サーティース J.シュレッサー D.ホブス J.ボニエ
1 1968-01-01 南アフリカ キャラミ 6位 6位 8位
2 1968-05-12 スペイン ハラマ 7位 7位 リタイア
3 1968-05-26 モナコ モンテカルロ 4位 4位 リタイア
4 1968-06-09 ベルギー スパ・フランコルシャン 4位 4位 リタイア
5 1968-06-23 オランダ ザンドフォールト 9位 9位 リタイア
6 1968-07-07 フランス ルーアン 7位 7位 17位 16位 2位 リタイア
7 1968-07-20 イギリス ブランズ・ハッチ 9位 9位 5位
8 1968-08-04 ドイツ ニュルブルクリンク 7位 7位 リタイア
9 1968-09-08 イタリア モンツァ 1位 1位 14位 14位 リタイア リタイア
10 1968-09-22 カナダ モン・トランブラン 7位 7位 リタイア
11 1968-10-06 アメリカ ワトキンズ・グレン 9位 9位 3位
12 1968-11-03 メキシコ メキシコ・シティ 6位 6位 18位 18位 リタイア 5位

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2006年

シャシー
RA106
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
86p
決勝完走率
80.6%
予選最高順位
1位
決勝最高順位
1位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
R.バリチェロ J.バトン R.バリチェロ J.バトン
1 2006-03-12 バーレーン バーレーン・インターナショナル 6位 6位 3位 3位 15位 4位
2 2006-03-19 マレーシア セパン 12位 20位 2位 2位 10位 3位
3 2006-04-02 オーストラリア アルバートパーク 17位 16位 1位 1位 7位 10位
4 2006-04-23 サンマリノ イモラ 3位 3位 2位 2位 10位 7位
5 2006-05-07 ヨーロッパ ニュルブルクリンク 4位 4位 6位 6位 5位 リタイア
6 2006-05-14 スペイン カタロニア 5位 5位 8位 8位 7位 6位
7 2006-05-28 モナコ モンテカルロ 5位 5位 13位 13位 4位 11位
8 2006-06-11 イギリス シルバーストン 6位 6位 19位 19位 10位 リタイア
9 2006-06-25 カナダ モントリオール 9位 9位 8位 8位 リタイア 9位
10 2006-07-02 アメリカ インディアナポリス 4位 4位 7位 7位 6位 リタイア
11 2006-07-16 フランス マニ・クール 14位 13位 19位 17位 リタイア リタイア
12 2006-07-30 ドイツ ホッケンハイム 6位 6位 4位 4位 リタイア 4位
13 2006-08-06 ハンガリー ハンガロリンク 3位 3位 4位 14位 4位 1位
14 2006-08-27 トルコ イスタンブールスピードパーク 14位 13位 7位 6位 8位 4位
15 2006-09-10 イタリア モンツァ 8位 8位 5位 5位 6位 5位
16 2006-10-01 中国 上海 3位 3位 4位 4位 6位 4位
17 2006-10-08 日本 鈴鹿 8位 8位 7位 7位 12位 4位
18 2006-10-22 ブラジル インテルラゴス 5位 5位 14位 14位 7位 3位

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2007年

シャシー
RA107
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
6p
決勝完走率
76.5%
予選最高順位
7位
決勝最高順位
5位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
J.バトン R.バリチェロ J.バトン R.バリチェロ
1 2007-03-18 オーストラリア アルバートパーク 14位 14位 17位 16位 15位 11位
2 2007-04-08 マレーシア セパン 15位 15位 19位 22位 12位 11位
3 2007-04-15 バーレーン バーレーン・インターナショナル 16位 16位 15位 15位 リタイア 13位
4 2007-05-13 スペイン カタロニア 14位 14位 12位 12位 12位 10位
5 2007-05-27 モナコ モンテカルロ 10位 10位 9位 9位 11位 10位
6 2007-06-10 カナダ モントリオール 15位 15位 13位 13位 リタイア 12位
7 2007-06-17 アメリカ インディアナポリス 13位 13位 15位 15位 12位 リタイア
8 2007-07-01 フランス マニ・クール 12位 12位 13位 13位 8位 11位
9 2007-07-08 イギリス シルバーストン 18位 18位 14位 14位 10位 9位
10 2007-07-22 ヨーロッパ ニュルブルクリンク 17位 17位 14位 14位 リタイア 11位
11 2007-08-05 ハンガリー ハンガロリンク 17位 17位 18位 18位 リタイア 18位
12 2007-08-26 トルコ イスタンブールスピードパーク 15位 21位 14位 22位 13位 17位
13 2007-09-09 イタリア モンツァ 10位 10位 12位 12位 8位 10位
14 2007-09-16 ベルギー スパ・フランコルシャン 14位 12位 18位 17位 リタイア 13位
15 2007-09-30 日本 富士スピードウェイ 7位 6位 17位 17位 11位 10位
16 2007-10-07 中国 上海 10位 10位 17位 16位 5位 15位
17 2007-10-21 ブラジル インテルラゴス 16位 16位 11位 11位 リタイア リタイア

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2008年

シャシー
RA108
エンジン
ホンダ
獲得ポイント
14p
決勝完走率
77.1%
予選最高順位
9位
決勝最高順位
3位
ラウンド 決勝日 グランプリ サーキット 予選・グリッド 決勝
J.バトン R.バリチェロ J.バトン R.バリチェロ
1 2008-03-16 オーストラリア アルバートパーク 13位 12位 11位 10位 リタイア 失格
2 2008-03-23 マレーシア セパン 11位 11位 14位 14位 10位 13位
3 2008-04-06 バーレーン バーレーン・インターナショナル 9位 9位 12位 12位 リタイア 11位
4 2008-04-27 スペイン カタロニア 13位 13位 11位 11位 6位 リタイア
5 2008-05-11 トルコ イスタンブールスピードパーク 13位 13位 12位 12位 11位 14位
6 2008-05-25 モナコ モンテカルロ 12位 11位 15位 14位 11位 6位
7 2008-06-08 カナダ モントリオール 19位 ピットレーン 9位 9位 11位 7位
8 2008-06-22 フランス マニ・クール 17位 16位 18位 20位 リタイア 14位
9 2008-07-06 イギリス シルバーストン 17位 17位 16位 16位 リタイア 3位
10 2008-07-20 ドイツ ホッケンハイム 14位 14位 18位 18位 17位 リタイア
11 2008-08-03 ハンガリー ハンガロリンク 12位 12位 18位 17位 12位 16位
12 2008-08-24 ヨーロッパ ヴァレンシア市街地 16位 16位 19位 19位 13位 16位
13 2008-09-07 ベルギー スパ・フランコルシャン 17位 17位 16位 16位 15位 リタイア
14 2008-09-14 イタリア モンツァ 19位 19位 16位 16位 15位 17位
15 2008-09-28 シンガポール マリーナベイ・ストリート 12位 12位 18位 18位 9位 リタイア
16 2008-10-12 日本 富士スピードウェイ 18位 18位 17位 17位 14位 13位
17 2008-10-19 中国 上海 18位 18位 14位 13位 16位 11位
18 2008-11-02 ブラジル インテルラゴス 17位 17位 15位 15位 13位 15位

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コメント
 

2008-11-02
2008年第18戦ブラジルGP 決勝

2008-12-05
sss
<653>
第三期は僅かに1勝で終了しました。・・・ホンダらしからぬ成績にガッカリを超えて、少し腹立たしい。
世界の経済情勢を考えれば企業として正しい決断でしょうし、レースへのチャレンジと勝利あってこそのホンダという企業イメージを考慮すれば、苦渋の決断なんでしょうけど、こうなる前にもっとできたのではと思ってしまう。ロス・ブラウンを招聘した効果も現れず、正直何のための8年間だったのか、応援し続けてきた側からすると、これからも応援してよいものかどうか考えさせられてしまう。

強くなって帰ってきて欲しい。宗一郎さんが存命だったら、こんな結果になっていなかっただろうに・・・

2008-12-07
sss
<655>
どうやらF1界、特にヨーロッパでの見解は、ホンダは散々金をかけて最先端設備を整え゛させられた゛挙句、チーム、ファクトリーをのっとられた・・・ということのようですね。正確には「のっとられる」という未来形なのでしょうけど、恐らくそうなるでしょうね。

誰に?・・・もちろんニック・フライです。

トヨタ・フェラーリ・マクラーレンに匹敵するほどの莫大な予算をかけ、ファクトリーの設備は最先端のものを投入しておきながら、結果はテールエンダー争い。BMWやルノーやトロ・ロッソのように、遥かに少ない予算で結果を残しているチームと比較してもありえない成績は、ただ単にこのファクトリーを格安で手に入れることを視野に入れたフライによって、成績を上げることよりも設備を充実されることに予算がに注ぎ込まれた結果だった、ということのようです。
そして成績が不振になればホンダは撤退(今回の理由は経済的な理由)、最高責任者として残務整理の権利を主張し、金さえ集めれば自身がチームオーナー。
しかもその売却価格たるや破格も破格なのは、既に報道されているとおり。

散々ホンダの金を利用して、自分自身でF1界でも屈指のファクトリーに育てあげたのち、ただ同然で自身が買い取る。恐らく表面上は、別の出資者を立て、自身は交渉などに従事しあくまでもホンダの整理業務をこなしているフリをするのだろうが、その出資者とフライが繋がっていることは間違いないでしょう。

フライがスーパーアグリを撤退に追い込んだ経緯も、ここに帰結する。自身が購入する目論見であるファクトリーを育て上げるために、ホンダに余計な金を使わせたくなかった、ということでしょう。そして政治的謀略によって見事にスーパーアグリを撤退に追い込み、そのぶんの予算でコツコツとファクトリーを立派に育て上げて来たわけです。

問題になるのは、ホンダがフライのクビを切れない如何なる理由があったのか?という点ですが、これは不可解です。
成績不振に留まらず、スーパーアグリへの明らかな謀略があったにも拘わらず、ましてやロス・ブラウンを招聘したにも拘わらず、フライは最高責任者であり続けた。この理由が不可解です。ここに何らかの理由があるからこそ今回の「のっとり計画」は成り立つ。そうでなければクビを切られて終わりのはずです。

何にしろ、ホンダが散々大金を注ぎ込まされたファクトリーは、フライ自身が連れてくる出資者に、格安で売却されることになるでしょう。もちろんその後のチーム代表はフライに決まっている。

2009-01-09
sss
<682>
やはりこんな噂が
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51444787.html

2009-03-06
toqmei
<819>
ブラウンレーシングとして継続参戦が決まりました。来年こそはブラウン氏にとってもいい1年になるといいですね。

2009-03-15
sss
<835>
ブラウンGP、馬鹿みたいに速いみたいで話題になってますね。
チャンピオン候補くらい言われていますが、マシンを作ったのはホンダですよね。
本当に悔やまれますね。

2009-03-15
どっちにころんでも
<836>
速ければ→ホンダシャシーのおかげださすがホンダだね、ホンダがそのまま参戦していれば・・・
遅ければ→まぁホンダがいくらかお金くれたとはいえ、ホンダの全力入ってないからね、それでも素性はいいしさすがホンダ

こうなるんだよね、よく分かります。
報道側もしばらくは「ブラウンGP=仮想ホンダ」みたいに扱って煽って行くのかなぁ?

2009-03-16
馬鹿セナ・ファン
<838>
>>第三期は僅かに1勝で終了しました。
三期が終了したのではなく、ホンダF1がすべて終了したと社長はいってましたが?

2009-03-16
でも
<839>
次期社長は「F1」という言葉を使ってはいないけど、復帰を匂わしたんだよね・・・
現社長と次期社長、別々の人間で別々の考えもあるでしょうが、次期社長の発言には09年エントリー後の突然の撤退という認識があまりにかけているかのようで、軽くムカッと。
次期社長の退任・次々期社長発表の席で、さらっと復帰について話しそうな予感。

2009-03-16
sss
<840>
確かに、「休止」ではなく「撤退」って言ってましたよね。
社長が誰になって、どんな発言をしようと、私は本田宗一郎を尊敬していますので、やっぱり本田ファンであり続けたいと思います。

2009-03-17
馬鹿セナ・ファン
<843>
ホンダ第二期って、宗一郎さんが、湯水のごとくお金を使って(ちょうど同時期に日本はバブル)名誉だけを取りにいったと聞いています。
第三期に活躍できないのをみて、第二期の話が本当だと確信しました。
86年オーストラリアGPで宗一郎さんの前でプロストに逆転されたときや、87年の鈴鹿でフェラーリが優勝したときはザマーミロと思いました。

2009-03-17
sss
<844>
そうですか。でも名誉を勝ち取ったわけですね、実績とともに。
プロストは結果的にセナとホンダに苦しめつづけられたわけですから、これこそザマーミロでは?
フェラーリは常にF1で一番金をかけてますが、ホンダ黄金期に何回勝ってましたっけ?これもまたザマーミロですね。
金かければ名誉が得られると思っているんですか?F1は金をかければ勝てるわけではないことは歴史が証明していますよ。
金も必要ですが、技術力がなくては勝てません。

2009-03-18
アマタロー
<846>
方向性がなければ、お金はあってもムダ遣い。
第三期ホンダのコンセプトって、何だったんだろう?

2009-03-18
sss
<847>
そうですね。確かに第三期は全く理解不能ですよね。
あれは確かにお金の無駄遣い。
コンセプトもそうですし、どうも日本との関わりも希薄に感じられて、第二期ほど素直に応援できませんでした。何か、チーム名だけホンダ、みたいな。

2009-03-19
馬鹿セナ・ファン
<850>
今のホンダは金も技術力もないんですね。

第三期をみれば、第二期がうまく行き過ぎていたと普通思わないのかな?
まさか第三期も第二期みたいな異常な活躍でもするとでも思ってたの?16戦15勝とか

第二期がホンダの本当の姿と思う幸せなひとが多いみたいですね。

2009-03-19
馬鹿セナ・ファン
<851>
アグリがいってたけど、中嶋さんがホンダで出てなんで1年落ちのV10なんだよ・・・
マクラーレンが良いときに中嶋でも無理いって加入させていたなら1回ぐらいは勝ったかもしれない。
しかも今回の最悪の身勝手な撤退しょせんそんな企業なんですよ。

生きてるうちに偉人伝に創業者が出てるぐらいなんですから、鈴鹿の役場の人が工場作るときに接待でお茶しか出さなかったら
鈴鹿に決めたというエピソードは笑いました。←そんなこと事実でも人に自慢して言うことか?
 これから車の時代がくるから工場の道幅広く取れと言うエピソード程度ならわかるけど

2009-03-26
bkセナファン
<905>
昨年あんな成績だったのにころっと変われるのかな?バリチェロの強気な発言してるけど
ずっと積み上げてきたものが花開くとしたら、ホンダはもったいない

2009-03-26
スパ
<907>
ブラウンGPの異常ともいえるテストでのパフォーマンスは、例のディヒューザーのせいらしいですね。
ほかにも、この”グレーゾーン”の恩恵を受けているってされるチーム、トヨタ、ウィリアムズ、そしてブラウンがテストで好調なのを見ると…。
開幕直前のこの時期にこんな問題が出てきて、どうなるんだろう?他のチームも講義しはじめてるし。
今年のF1はドタバタし過ぎ。

2009-03-28
2009年第1戦オーストラリアGP 予選

2009-03-28
bkセナファン
<912>
1.2独占おめでとう!!
これでホンダがどれだけおろかな会社か証明されましたね

2009-03-28
(管理人削除)

2009-03-29
2009年第1戦オーストラリアGP 決勝

2009-03-30
bkセナファン
<947>
ブラウンGP1、2フニッシュおめでとう ホンダに関しては呆れて何もいえません。
日本モータスポーツ界歴史上最悪の汚点を残しました。レースの世界では優等生ぶっていた
ホンダの失態だけに、痛いです・・・・・・

2009-04-19
2009年第3戦中国GP 決勝

2009-04-20
呆ホンダ
<1141>
そもそもホンダのレース活動に関する宣伝文句の「走る実験室」だって広報が、当時
の監督の中村良夫氏の意向に反して使った物らしい。
中村氏は「実験はあくまで実験室でやる物で、実験ではレースには勝てない」との考
えで、何かの例えで走る実験室と言ったのを、響きが良いので広報が使ったらしい!?

そもそも本田宗一郎のイメージも、当時の副社長(実質的社長)の藤沢氏は、自分と共
に宗一郎氏を退陣させる考えの中で、「後発のホンダがトヨタや日産に伍するために
俺がイメージをでっち上げた。俺が作った偶像だから俺が壊してから去る!!」と言って
いたらしい。。。

他の掲示板より。これでホンダがいかに偶像だったかはっきりしましたね。

2009-04-26
2009年第4戦バーレーンGP 決勝

2009-05-08
(管理人削除)

2009-05-10
2009年第5戦スペインGP 決勝

2009-05-11
ア・ホンダ
<1193>
バトン強すぎ、ワールドチャンプ可能性大ですね、ホンダファンでないのにこんなに悔しいんだから、宗一郎を尊敬してる人や
生粋のホンダファンはどう思ってるのでしょうか?モナコや鈴鹿で勝ったら、君が代が流れてたと思うと悔しさ100倍で涙が出
てきますね。しょうがないとホンダを理解するじゃすまないでしょう。

2009-07-12
2009年第9戦ドイツGP 決勝

2009-07-20
イ・ホンダ
<1686>
セナのスレで色々書かれてるみたいだから、一応聞きたくもないでしょうが私のホンダへの歴史を書いて
おきます。

知識豊富な人とか思ってる人もいるみたいだけど、TV放映の少し前からF1見てるだです。、前にも書きましたが
ここでの書き込みに「はっ」とさせれてたり、良く見てる・・・よく覚えてると関心させられることも
多いです、セナスレでのホンダの資金のルートまで書いてる書き込みに感心してます(嫌味じゃなく本当に)
ここで昔の事書くときは、このHPで記録確かめてから書くようにもしてますよ。その程度です

まあ後追いだけど、ホンダがヨーロッパF2に復帰して、日本のF2にも生沢徹のi&iにホンダエンジンが
供給されて中嶋が星野に勝ったり、その中嶋が雨のシルバーストーンでで2位になったり。それでいよ
いよF1でも1984年にはウイリアムズにエンジンが搭載されたから、心からというより応援したでしょう
日本人ならね。でも第1期ホンダは2勝しかしてなかったから正直WCなんかとれるとは思ってなかったね。

でも自分としては、1984年のTAGターボ(まあ中身はポルシェなんだけど)その強烈な印象と、これも
半分は後追いだけど、なんといってもプロストが気付いたときには、スチュワートの記録に並べる
可能性のある唯一の若手だったことからプロスト応援するようになったよね。(ラウダのほうが
27勝にはもっと迫ってたけどね)そんで無事85年はプロストがアルボレートに前半食い下がれたけど
余裕でWC獲得、完全に流れ的にマクラーレンTAGのファンになったわな。子供の頃のマルボロマクラーレン
のイメージも良かったからね(でも実質当時のマクラーレンはデニスチームなんだけどね)

そしたら翌年1986年にウイリアムズホンダ大躍進、とてもマクラーレンTAGはかなわない状態へ
そんなんでマクラーレンTAG&プロストが好きな私としては自国のエンジンが搭載されて
いるけど、桑島正美の富士の件があった(これも後追いだけど)ウイリアムズが好きではなく
ウイリアムズホンダは応援しなくなりましたね・・・・・・・・

当時、シャーシも含めて参戦してないのにウイリアムズ画像のポスターにウイリアムズの名前を省いて、
堂々とホンダF1とだけ書いてあったのは相当違和感ありましたね。

こんなのまかり通るならコスワースフォードはどうなるんだって、フェラーリとアルファ、ルノーと
一時期のリジェ以外は全部コスワースF1になるんかいって感じ!!

こういう目からホンダが段々好きになれなくなったな・・・・・・自国のメーカだけどおかしいと・・・・

そんで86年のアデレードで宗一郎の目の前でプロストが逆転Vしたときは本当に嬉しかったし
プロストは神だとおもったね。
でも、オーストラリアでの、その後のホンダ+宗一郎の報道が少なかったのはおかしいよね。
なんか宗一郎がスタッフに暖かい言葉をかけたような記憶あるけど、こっちはプロストの連続
チャンプで盛り上がったからね、2年連続WCってひさしぶりでしょ。なかなかできないような
ことのように言われてたからねw」w」当時は

何かコメントあったなんだろうけど見落としたかもしれんから、熱狂的なホンダファンの
方情報あったらよろしく!!

こんな思い出話もホンダファンにとっては侮辱になるのかな???




そんな経緯があってセナ・ホンダは好きになれません

2009-07-20
イ・ホンダ
<1687>
そんな経緯があれば、間違ってもセナ+ホンダは好きになれるわけないでしょう
単純にめぐりあわせだと思いますよ。私も88年頃からF1見始めたかったですよ

でもまた蒸し返しになって侮辱になるのかもしれませんが、セナ+ホンダがシュー+フェラーリ
ほどの活躍(5連覇)すれば、私も後からセナ+ホンダを好きになったかもしれませんね。




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